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◇1941年夏、県大会制覇・幻の甲子園メンバー「野球できる幸せ感じて」
21世紀枠での初のセンバツ出場を果たせなかった畝傍の後輩たちを、特別な思いで見つめた人たちがいた。日米開戦が迫る1941年夏、奈良県大会を制しながら、全国大会が中止になり、甲子園の夢破れた旧制畝傍中の卒業生だ。時代の波に翻弄(ほんろう)されながら、野球を愛し、がむしゃらに戦った。「思い切り野球ができる幸せを感じてほしい」。80歳を超えた今、改めて後輩たちの悲願達成を信じ、その日を待っている。【花澤茂人】
「栄冠遂(つい)に畝傍中学へ」。41年8月5日付の新聞に踊る見出しを見つめる北川泰嗣さん(82)=大和高田市=は、俊足の外野手だった。
県大会が始まったころ、甲子園大会中止を耳にした。丁寧に保存している当時の写真や新聞を見ると、ありありと歓声や土のにおいを思い出す。
プロ野球が大好きで甲子園によく観戦に行き、そこでプレーすることにあこがれた。道具も満足になく、皮の破れたボールでキャッチボールをした。
41年の春、監督が出征した。戦争を身近に感じた。全国大会中止の報に接しても、「そういうもんや。仕方がない」と自分を納得させるしかなかった。後に自身も
中国に出征した。戦後、チームメートの一塁手の戦死を知った。「好きなだけでは思い通りにならない時代が確かにあった」。北川さんは、当時のメンバーが写った古い写真に目を落とした...
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